この記事はノクチルどころかシャニマス自体をリリース初期以降ほぼ触っていなかったオタクが、風の噂で「天塵とかいうイベントコミュがやばい」と聞き、4人を1周すらしていない状態で最後まで読みきった後に書いた怪文書である。
このイベントコミュではノクチルのメンバーがアイドルを舐めていると感じられる描写がかなり色濃く描かれており、それに対してプロデューサーがどうプロ意識を植え付けていくかという話になる……と思ったのですが、むしろその逆で、「アイドルを舐めている」ことに対する回答すらされておらず、ノクチルというユニットの纏うオーラの片鱗を見せてくれるものとなっていました。
このイベントはノクチルに焦点が当てられた初のイベントということで、ノクチルがどのようなアイドルユニットであるのかについて紹介も兼ねたコミュだと解釈していますが、今回これを読んで感じたのは、ノクチルは「自分達の世界を楽しむ姿」がきらめきを発するユニットなのかなという点でした。
ストーリー中プロデューサーも「なんて言えばいいんだろうな」と何度も独白するように、ノクチルはひたすらレッスンを積んで洗練されたパフォーマンスにより観客を魅了するようなユニットではなく、幼馴染ならではのオーラのような、纏う空気のような不思議な力があって、それがアイドルとしての魅力に繋がる可能性を秘めているのかな、と感じました。
これはアイドルに対する姿勢に関してネガティブな投稿がされていることを知った雛菜と透の会話からも感じられ、「誰のことを言ってるんだろう」「雛菜は雛菜のことしか分からないけどな」というセリフや、花火大会のステージでの「誰も見てない」という言葉、またその描写とは裏腹にユニットメンバーは全員ステージを楽しむことができた旨の発言をしていることからも、外野の意見を全く気に留めていない様が見て取れます。
知っていてそれをスルーしているのではなく、あくまでも無関心であることがアイドルとしては特異な点なのかなと思います。
(プロデューサーがユニットメンバーにネガティブな面をフィードバックしていないのは問題だと思いますが)
今回プロデューサーはあまり重要な役回りはこなさなかったものの、ユニットの方向性に悩む場面があり、また花火大会周りの描写についてもこのユニットのことをよく分かっていない私の気持ちと合致し、物語に没入感を与えてくれました。
そもそもこのイベントコミュを読むきっかけは「アイドルを舐めているアイドルがどのように自覚を持つのか」ということに対する回答が得られそうだったためであったのですが、読み切ってみれば「そもそも自覚などなくてもアイドルとして生きることができる可能性がある」という斜め上の回答を叩きつけられ結構な衝撃を受けました。
私はアイドルマスターの世界ではあくまでアイドルプロデューサーでいたいと思っているので、芸能界に生きる社会人としてそのようなアイドルが存在すること自体が受け容れられない方なのですが、その価値観をひっくり返してくれるかもしれない存在が出てきたぞということで、ノクチルについては今後もひっそり見ていきたいなと感じました。
だって、このイベコミュを読んで「ノクチルをプロデュースできるか?」と問われたら絶対無理ですもん私は。好き嫌いではなく、ハンドリングできる気がしない。樋口円香の言うように、売り物として売ることしか考えられないので。この私の価値観とノクチルのテーマは恐らく真逆なので、どのように進んでいくのかが気になります。
まずはノクチルとしてではなく、個人としての4人のプロデュースをしっかりやらないと、ですね。